おはようございます。ごきげんいかがでしょうか。新所沢教会の長田詠喜と申します。
今日も神様について、聖書が語っていることを見てまいりましょう。
神様は永遠のお方であると申します。永遠という言葉を私たちは気楽に使いますが、それは想像を絶するような言葉です。大きな数の単位は沢山ありますが、私たちが語ることができるどんなに大きな数字であっても、永遠の前ではゼロに等しいと言わなくてはなりません。私たちは限りある者です。人間同士で比べれば、大きい小さい、優劣があるかもしれません。しかし、永遠のお方の前では、どんなに優れた人も無に等しいのです。
それではどんな人間でも何の価値も持てないのかというとそんなことはありません。神様は、私たちについて「わたしの目にあなたは値高く、貴」い(イザヤ43:4)とおっしゃってくださるのです。限りある無に等しい私を、無限にして永遠の神様が「値高い」とみなしてくださるのです。
私たち自身がどれだけ努力しても積み上げることができない限りない価値を、神様は私たちに与えてくださいます。これは神様によらなければ得ることができない価値なのです。決して古びることなく、なくなることのない私たちの価値が、神様から与えられます。足りないところ欠けたところの一切ない、完全無欠の価値が私たちに与えられるのです。私たちからは想像することさえできないような永遠の喜び、永遠の幸いが神様の幸い、天国の幸いなのです。この幸いを望み見てまいりましょう。
聖書を読みます。詩編102編13節
「主よ、あなたはとこしえの王座についておられます。御名は世々にわたって唱えられます。」