いかがお過ごしですか。新座志木教会の杉山です。今日は聖書の中にある、気になる言葉をご紹介します。
それは「今の時代」という言葉で始まります。これは聖書の中の時代であれば西暦1世紀のことですが、おそらく私たちが生きております21世紀の「今」と考えても、それほど違いはないのかもしれません。
主イエスは「今の時代」を子どもたちのはやし立てる言葉で表しています。
「笛を吹いたのに踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに悲しんでくれなかった。」(マタイ11:17)
これは子どものごっこ遊びのことのようです。せっかくいろいろと遊びを提案しているのに、君たちはのってくれない、これじゃつまらないじゃないか、と一人の子どもが友達に文句を言う場面です。
けれども、それがまさにこの時代の特徴なのだというのです。それはいったいどういうことでしょうか。それは一言で言えば、「周りが悪いからうまくいかない。」という思いに満ちた時代だ、ということではないでしょうか。しかし、お互いに「君たちがまじめにやらないから。」と言い合っていても、何も解決しません。ではどうしたらよいのでしょうか。
主イエスは言われました。「わたしにつまずかない者はさいわいである」。(マタイ11:6・口語訳)これは主イエスが語られた天の国のおとずれに躓かない、ということのはずです。天の国においては、さまざまな解放が来ると、聖書には書かれています。主イエスに躓かないとは、このおとずれを受け入れることです。その解放は当然ながら、お互いを非難するだけのむなしい関係を終わらせます。