おはようございます。西鎌倉教会の大木信です。
突然ですが、あなたにとっての「隣り人」とは誰でしょうか。今お隣に住んでいる方、友人、学校や職場の人たちでしょうか。自分に近い存在の人を思われるでしょう。自分から遠い人や、知らない人、迷惑をかける人などは「隣り人」とは思わないと思います。
「隣り人を愛し、敵を憎め」という言葉は、イエスさまの当時のユダヤの人たちがよく耳にした言葉でした(マタイ5:43より)。ユダヤの人たちにとって「隣り人」とは、あくまでも同じ人種のことでした。したがって「隣り人を愛する」とは、自分自身のようにユダヤ人同士を愛することでした。ですからユダヤ人でない他の人種たちは敵だという考えだったのです。
ところがイエスさまは、「しかし、私は言っておく。」と言われて驚くべき言葉を語られました。「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」と(5:44)。敵は憎むべき存在でしかなかったユダヤの人たちにとってこれは驚くべき教えでした。
イエスさまにとって「隣り人」とは同族、兄弟、近い人たちのことではなく、私たちが現在、具体的に出会っている人のことも指して言っておられます。たとえ日頃は敵対関係にある様な間柄でも、民族・宗教の区別を乗り越えて、愛の姿勢に生きることを求めておられるのです。
イエスさまは、このことを教えただけではありません。十字架においてこれを示された方です。愛すために多くをお許しになった方です。このイエスさまの愛に生きたいと思います。