ごきげんいかがですか、銚子栄光教会牧師、小林義信です。
本日の聖書箇所は、旧約聖書箴言1章の7節です。
「主を畏れることは知恵の初め。無知な者は知恵をも諭しをも侮る。」と、記されています。
ここで言う「畏れる」は恐怖の恐れではなく、「うやまいかしこまる」という意味です。
今日、知識は、旧約の時代の当時の人々から見れば考えられない程、多くのものを人工知能やネットから受ける事が出来ていますが、心の弱さ、苦しみ、イジメなどを解決できず、悲しんでいる人々がかえって増えている現実であります。何故なら一般的な知識では解決できないからであります。
新約聖書ヨハネによる福音書8章31節では、「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当に私の弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」
このように、真理であるイエス様の言葉を受け入れ、それに従う者は罪から解放され、真の自由を享受することが出来るとおっしゃられました。つまり、私達が人として、人格者としての出発点は、私達の造り主であるところの神様を知る事から始まるのです。
そして、その方との交わりを回復し、正しい関係をつくる事こそ知恵の始まりです。ですからそのお方を認めず、畏れず、信じない者は、愚かな者ということとなります。そして多くの人は、その事さえ知る事なしに苦しんでいるのであります。あなたも是非この事を覚え、聖書のみ言葉に触れてみて下さい。