いかがお過ごしでしょうか。東京練馬の光が丘キリスト教会で牧師をしております、尾崎純と申します。
昔々、キリスト教がギリシャで伝道を始めた時、とても愚かな教えだと軽蔑されました。ギリシャは哲学の国ですから、人々は知恵を求めていました。それなのに、キリスト教の伝道者の話は、まったく不条理な話だったのです。神が人を救うために、人となってこの世に来てくださって、そればかりか、人の罪を代わりに背負って、人の代わりに罰を受けて死んでくださった。果たしてそんなことがあるでしょうか。知恵ある人から相手にされないのは当然のようにも思います。
けれども現在、ギリシャはキリスト教の国になっています。これはどうしたことでしょう。キリスト教は確かに不条理です。ですが、実際のところ、私たちの人生には、私たちに知恵があろうがなかろうが、不条理なことはいくらでも起きてきます。考えようによっては、不条理にどう対処するかが人生であるとも言えるでしょう。
キリストは、不条理に苦しむ私たちの中に来てくださって、キリストご自身、不条理な道を歩んでくださいました。それはひとえに、キリストが不条理なまでに私たちを愛しているからです。キリストは、愛する私たちが苦しむのを、見ていられなかったのです。だから、不条理をものともせず、私たちのところに来てくださったのです。
そのキリストは、今日もあなたの心のドアをノックしています。どうぞ、扉を開いて、キリストに出会ってください。