いかがお過ごしですか。船橋高根教会の牧師の小峯明です。
毎日の忙しい生活の中で、人間関係に悩まされることは厄介なことです。信頼していた友人が、陰で自分を批判していたり、尊敬していた上司が、自分を低く査定していたりと、わたしたちはしばしば自分のことは棚に上げながらも、人の仕打ちにガッカリいたします。
くよくよするなよと励ましてくれる友人たちもあるでしょうが、相手の顔を思い浮かべると平安が乱され、寝つきも悪くなるかもしれません。相手からの仕打ちに対して赦せないとの思いが怒りに変わってしまいます。そのような不愉快なことは早く忘れるしかありません。しかし、それで問題は解決しません。
イエス様は祈りの中で、神に赦しを求めるように教えました。(マタイ6:12参照)わたしたちは神と敵対関係にあったのです。神を無視し、神に逆らっていたからです。そもそも、神を否定してさえいたかもしれません。
ところが、神様は和解のためにイエス様を遣わしてくださり、わたしたちの罪を赦してくださいました。そこでわたしたちは自分の罪を知らされて赦しを祈りもとめます。その時、イエス様は、あなたたちも隣人を赦すようにと教えました。
わたしたちは戸惑います。赦さないと赦されないとしたら、わたしたちは永遠に赦されないかも知れません。イエス様はできない祈りを教えておられるのでしょうか。そうではありません。神様は既にわたしたちを赦してくださいました。そのイエス様による赦しを軽んじないようにとの教えです。
赦されたわたしたちは赦すことができるようにされました。ですから、赦しに生き、赦しを求めて、平安の中に歩むようにとわたしたちに教えてくださいます。平安な生活は、怒りからの解放と赦しに基づいています。