ご機嫌いかがですか、千葉県八千代市にあります勝田台教会の牧師をしております、坂井孝宏と申します。
平和という言葉は日本語でも大変大切にされていると思いますが、クリスチャンの天国言葉においても大変重要で愛されています。
そして独特の使い方があります。キリストによって神様との間に平和をいただくという、そういう言い方をするのです。(ローマ5:1より)それは、神様と私たちとの間でこじれきってしまった関係を、修復していただくということです。
私たちはみんな神様の目から見て、帰るに帰れなくなって困り果てている家出息子のようなものです。
ルカ福音書15章に有名な「放蕩息子のたとえ」というお話がありますが、故郷を飛び出して自分の好き勝手にふるまったあげく、破産してしまってブタのえさを食べるよりないほどに落ちぶれて、という家出息子が出て来ます。
神様の目から見て、私たちはみんなそんな風に、自分勝手に滅びの道に迷い込んだ罪人です。本当に自分勝手なんですね、人間というのは。自分のことばっかりで、神様の思いなんて、少しも大事にしようとしない。そういう私たちだから、今色んなことが明らかに行き詰っているのではないでしょうか。
でも、神様は、そういう罪人が帰ってくるのを待っておられます。そして、すべての罪を赦し、関係を修復しようとしてくださいます。この神さまの大きな腕の中に帰っていって、神様との間に平和をいただく。まず、そこから始めないといけないのです。