いかがお過ごしでしょうか。国立聖書教会の野島邦夫です。
イエスは、在世当時以来、一方では聖人と見なされたり他方では極悪犯罪人と見なされたり、大きく広い誤解を受け続けて来ました。今週は、聖書記事に基づいて、大きな誤解の幾つかとその正しい解説を学んでいます。さらにその背後にある大切な意味を学びます。
最も大きなそして重要な誤解は、イエスの十字架についてのものでしょう。イエスはせいぜい数年間の短い活動の後、エルサレムで拘束され、いわれのない反感と人間的思惑による形だけの裁判によって死刑判決を受けます。
選ばれた死刑方法が残虐な十字架刑です。十字に組んだ木に死刑囚を両手両足を釘で打って固定し、立てます。すぐには死に至りません、炎天下非常な苦しみの中何時間も息絶えるまで曝されます。
木の上のイエスに人々は嘲ります、「お前が王・救い主なら、今自分を救え。」と。しかし、彼はこれが自分の道であるかのように沈黙して死に赴かれます。
これは確かに起こった出来事ですが、イエスの態度は不可解ですし、この事件は様々な憶測と誤解を生んできました。聖書の正しい解説はこうです、「イエスはすべての人を救うため、そうしようと思えばできたにもかかわらず、自分を救わなかった。」ここにイエスへの誤解を解く鍵があり、私たちの救いにとって重要な意味が秘められています。