いかがお過ごしでしょうか。国立聖書教会の野島邦夫です。
イエスは、在世当時以来、一方では聖人と見なされたり他方では極悪犯罪人と見なされたり、大きく広い誤解を受け続けて来ました。今週は、聖書記事に基づいて、大きな誤解の幾つかとその正しい解説を学びます。さらにその背後にある大切な意味を学びます。
その誕生の時、既に彼は誤解されました。マタイによる福音書第1章によれば、法的には結婚にほぼ等しい婚約をした男女・ヨセフとマリア…彼らがまだ一緒になる前にマリアは妊娠しました。ヨセフはマリアの不倫を疑い、悩みます。間もなく周囲の人たちも気付くでしょう。善良で心優しいヨセフは、こっそりマリアを去らせようとします。こうして、まず父ヨセフが誤解します。
これは誤解です。同じ章の中に、「マリアは聖霊によって身ごもった」と解説され、ヨセフにも天使がそう伝えたと書かれています。
このように、聖書の中には、イエスへの誤解が記されると共に、必ず正しい解説も記されます。ただ、この解説自体がしばしば常識的にはおかしいものです。誤解が生まれるのもやむを得ない気がします。どうせならもっと世間が納得しそうな解説をつければいいのにと思うのですが、誤解を承知で、あえて書きます。それが譲れない事実であり、人の救いに関する大切な意味がそこにあるからです。