ご機嫌いかがですか。所沢ニューライフ教会の玉井宣行です。
聖書には「十字架の言葉は滅んでいく者には愚かであるが、わたしたち救われる者には神の力です。」という言葉があります。しかし十字架とは罪を犯した犯罪人がかかる、呪われた死刑執行の手段でした。
教会はこの十字架にかかって死に、3日目に死人の中から復活し、今神の右に座っているイエス様を信じています。だからこそ十字架を高らかに掲げているのです。
ではなぜ犯罪人として十字架にかかったイエス様が、信じる対象になるのでしょうか。犯罪人がかかる呪いの十字架は、愚かなものではないか?信じない人にはそのように思えるでしょう。
しかし犯罪人とは一体誰なのでしょうか。目に見える罪を犯した人だけが犯罪人なのでしょうか。私たちの心には、相手を傷つけ、相手の存在を消したいという思いが、毎日のように湧き上がってくるのです。そして私たちはそのような心の罪に苦しむのです。どうしたらこの罪から自由になることができるのでしょうか。
イエス様は私たち一人一人の心の中にある罪を背負って、十字架にかかり、私たちに代わってその罪を償い、打ち砕いてくださったのです。このイエス様を信じる時、私たちの心から罪が取り去られるのです。たとえ失敗しても、何度でもイエス様のところに立ち返ることができるのです。これこそが十字架の言葉を信じるあなたに与えられた神の力なのです。