いかがお過ごしですか。新座志木教会の杉山です。
主イエスが人々に良き知らせを語り始められた様子は、マタイやマルコといった福音書の最初のほうに描かれております。しかし、今日は、その少し前の出来事をご紹介します。
主イエスご自身が洗礼を受けられました時に、天から霊がくだり、同時に「あなたは私の愛する子」という声が聞こえたと聖書は告げています。私たちは、これで準備は整ったと考えたいところです。ところが聖書では、なぜか、その天からの霊が、主イエスを荒れ野に導いたと続きます。それだけではなく、40日間も荒れ野にとどまらせ、その間サタンから誘惑を受けたとも書かれています。
サタンといいますとおとぎ話のような気がしますが、聖書においてサタンとは嘘つき、欺くものであるとともに、試すものです。サタンは、主イエスにとりましても、また、私たちにとりましても、一体お前は何を大切にしているのか、何に頼っているのか、ということを問いかける声、そもそも頼るべきものなどなく、お前の人生は絶望的なのではないかと尋ねてくる声です。
たしかに私たちの人生におきましては、先が見通せずに、悩み続けることがあります。しかし、そこでなお覚えておきたいことがあります。それは、この時、主イエスを導いていたのは、サタンではなく、霊であったという事実です。それは、絶望のどん底のように思えるところに、なお、神様の霊が届いているということです。