いかがお過ごしですか。船橋高根教会の牧師の小峯明です。
イエス様が生活しておられた今のイスラエルとパレスチナの地方はブドウの産地でした。イエス様も弟子たちも、ブドウは馴染みの果物です。その身近に植えられているブドウ畑をご覧になられてのことかも知れません。イエス様は「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。」と弟子たちに語ります。
まことのぶどうの木とは、豊かに実をならせ、それも甘く美味しいぶどうをならせる木のことでしょう。しかし、ぶどう栽培には手間がかかります。肥料から剪定まで毎日の手入れが必要です。その手入れを父なる神がなさいます。そのようなぶどうの木に譬えてイエス様は「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。」とご自身と弟子たちの関係を語られました。
もともと、わたしたちとイエス様とは何の関係もありませんでした。ただこうしてラジオを聞いて、またインターネットの放送を聞いて、そこに一つの関係が生まれます。一期一会であるかも知れません。しかし、イエス様の言葉が語られて、聞かれる所に、語られるイエス様と聞くわたしたちの関係が始まります。その関係は、ぶどうの木と枝の関係に譬えることができます。わたしたちはイエス様というぶどうの木に、ラジオを聞くことで、接ぎ木されるわけです。接ぎ木によって木本体から水分や栄養分が枝に伝わり、その枝は豊かな実を結びます。
ラジオを通して語られるイエス様の言葉を聞くことで、わたしたちはイエス様に結ばれたぶどうの枝として生き始めます。イエス様の言葉を聞いて、イエス様に結ばれる人生がわたしたちにも開かれています。