いかがお過ごしですか。船橋高根教会の牧師の小峯明です。
6年ほど前の東日本大震災の後、節電が叫ばれ、また計画停電も行われて、夜の町は真っ暗になりました。今や電気のない生活はあり得ません。しかし、電気の無かったイエス様の時代には、光はとても貴重でした。松明や蝋燭、油に布の芯を灯す小さなランプしかありません。
部屋の中を少し照らすか弱い光でした。外は闇です。その代わり星や月の明かりが雲がなければ素敵であったでしょう。しかし、雲で覆われた夜は漆黒の闇に包まれ、人々は自分の手も見えない闇の世界に置かれました。
暗闇は、聖書ではしばしばイエス様を受け入れない罪の世界を譬えています。そんな罪の闇が支配する世界に、光としてイエス様は来られました。
クリスマスにお生まれになったイエス様を聖書は「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。」と語ります。そして後に成長されたイエス様は、ご自身を「わたしは世の光である。」と言われました。
この光の特質は、まことの光です。吹けば消える光ではありません。そしてすべての人を照らすと言われます。今、全世界の人を照らす光は太陽しかありませんが、太陽も一日の半分しか世界を照らすことはできません。
しかし、イエス様はこの世界全体をいつでも照らす光として来られました。イエス様を受け入れない暗闇を照らす光としてイエス様は来て下さいました。神から離れて生きるわたしたちを探し出し、照らしだして光のもとに導くためです。
その光に導かれてイエス様に従う者は「命の光を持つ」と聖書は語ります。まことの光であるイエス様がわたしたちに命を与えてくださるのです。