いかがお過ごしですか。船橋高根教会の牧師の小峯明です。
その昔、秦の始皇帝は、不老長寿の薬を帝国全土で探させたそうです。しかし、それは見つかりませんでした。なぜなら、この世界には不老長寿の薬などは存在しないからです。確かに栄養が行き届き、バランスのよい食事を続ければ健康寿命は伸びるでしょう。しかし、不老長寿ではなく、老々長寿でしかありません。
この朝、イエス様は、「わたしが命のパンである」と言われます。パンはわたしたちの生活の糧です。けれども、パンを食べていてもいずれわたしたちの寿命は終わります。
イエス様が、弟子たちと最後の晩餐を囲んだ時のことです。その食卓はユダヤ人の祭の食卓で、パンとぶどう酒が用意されていました。その席でイエス様はパンを取り、それを裂き、使徒たちに与えて言われました。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」
このイエス様の命令によって、弟子たちはイエス様を記念する食卓を続けて行うようになりました。その食卓を教会では、主の晩餐、聖餐式と呼んでいます。多くの教会では月の初めの礼拝で聖餐式を行っていると思います。そこで配られるパンが、イエス様を記念するパンです。
そのパンを食べる儀式に参加するためには、洗礼が必要です。礼拝に集い、洗礼を受けると聖餐のパンに与れるようになります。命のパン、それはイエス様の体を示すパンであり、そのパンはわたしたちの魂の糧となり、わたしたちに死で終わらない命を保証します。
不老長寿どころか、肉体の死を越えて、復活の命を与える命のパン、それがイエス様です。