ご機嫌いかがですか。牧師の豊川修司です。
今日は「洗礼への道」のお話です。求道者は牧師から声を掛けられ、その日の週の内に葉書まで受け取りました。少し心が動いて、1回、2回、3回、4回と礼拝を続けてみました。そうしたら、また玄関先で「礼拝は少し慣れましたか。そろそろ聖書の学びをしてみませんか」と云う誘いの言葉を受けたのです。「はい、勉強だけなら」と返事をして、聖書の学びが開始されました。
結果的には、これが「洗礼準備会」という名前で、洗礼を受けるための聖書と信仰を学ぶ時間だったのです。
「洗礼準備会」は求道者と牧師が都合のよい時間を設定し、2週間に一度、約1時間、聖書と信仰の学びをします。大体40分位、学びを終えた後、お祈りの練習をします。学んだ内容を確認して、次の準備会の日程を決めて終わります。この後は、約20分位カフェタイムを設け、信仰の会話をしながらしばらく懇談をします。
求道者の学びは丁寧さが必要です。信仰を持つということは生き方を変えることなので、両方に忍耐が必要です。ペテロの手紙二 3章9節は「一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。」とあるように、一人の求道者が洗礼に導かれるために主は忍耐して待っています。洗礼への道は、慌てず忍耐して求道者の心を読み取ることが大切です。