ご機嫌いかがですか。牧師の豊川修司です。
今日は「洗礼への道」のお話です。
初めて教会の礼拝に出席して、帰ろうとしたら牧師から声をかけられ、更に教会に来た動機を聞かれたのです。それ以上に驚いたことは、牧師から、礼拝に見えられたお礼の葉書が送られてきたのです。もし、玄関で牧師の声掛けがなかったら、もう教会に行くことを止めていたでしょう。
求道者が教会にきたとき、「また、おいでください」という挨拶の繰返しだけでは、大事な求道者をいとも簡単に逃してしまいます。でも、聖書の言葉は、わたしたちの対応よりも、もっともっと積極的です。マタイによる福音書28章19節、20節によれば、「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。」と語っています。
教会は礼拝に見えられた方をしっかり受けとめ、求道者として洗礼を授けるまでに導く責任があります。牧師になって初めて洗礼を授けた婦人は、毎週夜7時の夕べの礼拝に出席して、1年後に洗礼を受けました。
後で知ったのですが、今も聖書に挟んである物は、読み難い字で書いた牧師の葉書なのです。求道者が礼拝を継続する力は、意外と牧師の人格も影響しているのかもしれません。