ご機嫌いかがですか。宇都宮教会代理牧師の豊川修司です。
教会は、一人でも多くの方々が礼拝に来て、主イエス・キリストを信じてクリスチャンになることを願っています。そこで、今週のあさのことばは、「洗礼への道」と題して、一人の求道者が教会の礼拝に来てから洗礼に導かれるまで、心の動きを6回のシリーズで描いてみました。
牧師になる前は、洗礼を受けるとは不思議なことだなーと思っていました。
それが50才半ばで牧師になって15年間働いた教会で、なんと17名の洗礼者が起こされたのです。小さな教会でしたが「1年間に最低一人の洗礼者を起こす」というキャッチフレーズで伝道したのです。
古いやり方ですがチラシを全戸配布したり、集会案内を送ったり、どの教会も行っている方法で求道者を見つけ出すために「種蒔き」をしたのです。でも実際は、チラシを見てくる方は少なく、礼拝を継続する人が少ないのです。それでも種を蒔く努力は必要です。
しかし、人を救いに導くのは人間の想いではなく、神の力です。ローマ信徒への手紙1章16節はこう語ります。
「わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。」
この言葉が求道者を洗礼に導く第一歩です。聖書は福音を通して、あなたを積極的に救いに導いてくれます。