ひたちなか教会の小宮山裕一です。聖書の言葉に耳を傾けましょう。
聖書の大切な教えに、十戒と呼ばれるものがあります。漢数字の十に戒めと書いて、十戒です。十戒を読むと、確かに「何々してはならない」とありますので、私たちを戒めているようにも思います。しかし、十戒の精神はただの戒めではありません。
十戒の教えの中に、姦淫してはならない、という教えがあります。姦淫とは、みだらな性関係をあらわす言葉です。具体的にいうならば、結婚関係において、自らのパートナー以外の人と関係を持つことです。もう少し広くとらえるならば、不適切な性の持ち方、ということになるでしょう。こうした行為が家族を壊し、夫婦を壊すことは改めて説明する必要はないでしょう。
聖書が、姦淫してはならないと教えているのは、正しい形での夫婦関係、家族関係を維持するという面が確かにあります。しかし、より根本的にいうならば、結婚というものそれ自体が、神様によって与えられるものであるということ。ここが中心なのです。
神様を信じていようといまいと、結婚は行われます。聖書は、神を信じていなくても、結婚は神様の導きによってなされるというのです。つまり、結婚関係においてあたえられた配偶者は、全てを導きたもう神様が、与えてくださったかけがえのないパートナーなのです。
結婚はそうした神聖なものです。ですから、結婚を壊す姦淫は禁じられなければなりません。
神は愛です。神様はその愛を私たちがよりよい形で知ることができるように、結婚を与えてくださったのです。