おはようございます。ひたちなか教会の小宮山裕一です。
今日は日曜日です。礼拝に参加する人も、参加することができない人も、神様の祝福が豊かにありますようにお祈りいたします。
詩編119編130節にはこのような御言葉があります。
「御言葉が開かれると光が射し出で、無知な者にも理解を与えます。」
御言葉が開かれると光が射し出でる。御言葉が読まれる時に何が起こるのか。それは暗闇を光が照らすように、御言葉それ自体が光となり、御言葉を読む人を照らすというのです。御言葉はそれほどの輝きと力強さを持っている。御言葉とは、聖書の事だといってもよいのですが、聖書という書物はただの本ではなくて、周りを照らすような、そのような光をもたらすのです。
確かに、御言葉は私たちを導き、招き、時に注意を促します。御言葉が私たちを照らし、私たちが道を間違えることの無いように光となるのです。聖書の言葉はまさに私たちを照らす光なのです。
御言葉がこれほどの力があるのは、神様が命を吹き込んでくださったからです。私たちは何もしないままでは神様を知ることができませんが、御言葉によって御自身を示してくださったので、私たちは神様を知ることができます。礼拝に集い、御言葉を通して神の息に触れ、御言葉に生かされるものとなりましょう。御言葉の光は、今日も私たちを照らします。光となって導いてくださるのです。