ご機嫌いかがですか、千葉県八千代市にあります勝田台教会の牧師をしております、坂井孝宏と申します。
皆さんの中には、昨日のご自分を省みて、どうしてあんな悪い言葉を使ってしまったのだろう、どうしてあんな、してはいけないことをしてしまったのだろうと後悔しておられる方がいるかもしれません。反省し、あるいは祈る中で、自分がいらだっているのだと、気づくこともあるのではないでしょうか。
いらだっているのはどうしてでしょうね…。忙しすぎて、とか…思うようにならなくて、とか…がんばっているのに責められてばっかりで、とか…いろんなことが不安でしかたなくて、とか…。
聖書のローマ書の7章の御言葉を思い出しました。「わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。…そして、そういうことを行っているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。……わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。…わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。(7:15-25から抜粋)」こういう言葉です。
だれがわたしを救ってくれるのでしょうね。それは、イエス・キリストという方だと、聖書は教えてくれています。