いかがお過ごしですか。新浦安教会の芦田高之です。
以前家族でアメリカのミシガン州に住んでいた時のことです。色々な野生動物が住んでいますが、鹿が沢山いるのです。
私は子供たちと一緒に、鹿が朝早くに水を飲みに来る川のほとりに行きました。鹿を見に行くためです。とても朝早くでしたが、寒い朝に、鹿が真っ白な息を吐きながら水を求めて川のほとりに来る姿を見て、子供たちと共に感動したのを覚えています。
聖書に詩編という書物があります。昔イスラエルの人々が、神様に向かって祈ったり、嘆いたり、ほめたたえたりする祈りの言葉がまとめられている書物、それが詩編です。
その詩編の中にこういう言葉があります。詩編42編2節です。
「涸れた谷に鹿が水を求めるように、神よ、わたしの魂はあなたを求める。神に、命の神に、わたしの魂は渇く。いつ御前に出て、神の御顔を仰ぐことができるのか」
この人の魂は、飢え渇いているようでした。何に飢え渇いていたのでしょうか。この人は、神様との魂の交流を、切に求めていたのです。
あなたも、心の中が何かうつろになることがあるかもしれません。なんだか虚しい思いになることがあるかもしれません。
そんなとき、どうか、神様を求めてみてください。神様は、あなたに生きる希望や勇気、生活における、本当の満足感、充足感を与えて下さる方です。
この神様との魂の交流の中に生きることを求めてみてください。きっと魂の渇きが、癒されることでしょう。