いかがお過ごしでしょうか。国立聖書教会の野島邦夫です。
今週は「与える神」をキーワードにして、キリスト教の神と救いについて考えて来ました。
聖書の神は、唯一の神、善きもので満ち溢れる神です。欠けたところはありませんから、人間の捧げ物によって補われる必要はありません。
逆です。人間に満ち溢れるものを注いでくださる神、「与える神」です。
では、何を、どの程度与えて下さるのでしょうか。
人は神というものに求める、第一のものは救いです。
「神のために何かをするなら、その見返りに救いを与える」というのでしたら、人ができることは限られていますから、見返りの救いも限られています。
人が求めるのは、自分ではいかんともしがたい大いなる救いですから、この真の救いは見返りではなく、ただ与えられる救い以外にありません。
救いを求める人にできるのは、「求めて、信じること」だけでしょう。
聖書の神・主は、まさに「求めて信じなさい、そうすれば救いを与えよう」と言われます。
いかにも安っぽい救いに、一見見えます。しかしそうではありません。
主は、人に真の救いを与えるために、既にご自身の分身ともいうべき御子イエス・キリストを、この世界に与え、死に渡されました。
キリスト教の要約は「ただキリストを信じなさい、そうすれば救われる」です。
この言葉が力を持つのは、主が御子をさえ「与えられた神」だからです。