いかがお過ごしでしょうか。国立聖書教会の野島邦夫です。
今週は「与える神」をキーワードにして、キリスト教の神と救いについて考えています。
「神」というものを「人間との関わり」という面から考える時、四つの考え方があります。
今日は第三、ギブ・アンド・テイクの神、つまり、人間と持ちつ持たれつの神、です。
こういう神々の考え方が最も一般的かもしれません。人間から何かを捧げられたら、見返りに何かをその人に与える神々。人間側から言えば、何か益を受けるためにその神々を拝んだり捧げ物をするということです。
たいてい、捧げるものの価値に応じて御利益の大きさも変わります。まるで世間の商売の様です。いやいや、捧げ物の金額ではなく、純粋な願う心が大切だと言われるでしょうか。しかし、商売が繁盛することを願ってお金を入れる人には、百円より一万円の方が大きな御利益があるのではという思いが無いでしょうか。
けれども、このような神々は、前回の「奪う神」もそうですが、「満ち足りていない・何か不足したところのある神」です。
満ち足りていれば、人間の捧げ物を必要とはしないでしょうし、人間が捧げ物をしないからと言って報復などしないはずです。人間が何か補う必要のある不完全な神です。どう考えても、特に、弱った人、力の無い人には、頼っても満足な救いは得られそうにありません。