いかがお過ごしでしょうか。国立聖書教会の野島邦夫です。
今週は「与える神」をキーワードにして、キリスト教の神と救いについて考えています。
「神」というものを「人間との関わり」という面から考える時、四つの考え方があります。今日はその第二「奪う神」を考えます。
昔話の中に積極的に人間を襲い命や財産を奪う凶暴な神々が出てきます。例えば雷神。
そうではなくても、ふだんは人間に無関心で無害ですが、必要な時人間が捧げ物をし、儀式をしなければ害を与える神々のことも聞きます。
日本では「神のたたり」をこのようにイメージしています。
例えば、現在でも家を新築する際「地鎮祭」をよくします。普段は気にかけませんが、実はそこを支配している「土地の神」がいて、そこを使う際には儀式によってこの神を鎮めて建築工事の安全を願う、とされます。
こういう神は、自分の支配・権威・領地が侵害されるなら祟る、つまり報復して人間に危害を加え、時には命を奪います。
「神というものは怖い」という一般的な神のイメージは、これらの神々からできあがったのでしょうか。むしろ、雷や建築工事の危険性と「神は怖いものだ」という先入観とが結び付いて、これらの神々ができあがったのかもしれません。
いずれにしても、関わっても喜びが湧きそうにもない、あまりお付き合いしたくない神々です。