いかがお過ごしでしょうか。国立聖書教会の野島邦夫です。
今週は「与える神」をキーワードにして、キリスト教の神と救いについて考えます。
あらゆる「神」というものを、「人間との関わり」という面から考える時、さらに狭めて「与える」とその逆の「奪う」という観点から考える時、四つの考え方があります。それが正しいか、誤っているかは別です。
その第一は「人間と関わりを持たない神」です。
「私は、具体的ではないけれども、何となく自分を超えるものが存在することは信じられる」という人は少なくありません。こういうイメージの神は、だいたい「関わりを持たない神」―人間の生き方や言動に影響を与えないし、人間の生き方や言動から影響を受けない神、に留まっています。
つまり、仮に「私を超える存在」があっても、ただそれだけでは、「私には関わりがない」。そのような神は、私の生き方を全く左右しませんし、私の生き方に全く左右されません。私たちは、無視して生きても差し支えありません。
実際問題としては、そのような神は存在していても、していなくてもどうでもよいことです。
よく、「神は存在するか?」ということが問題にされますが、こういう問い方はあまり意味がありません。
私たちにとって大切な問いは、「私の生き方を左右する神は存在するかどうか」ではないでしょうか。