おはようございます。仙台教会の風間義信です。
聖書の中には、イエス・キリストが語られた「たとえ話」が多く出てきます。これは本当にそのことがあったというよりも、深い教えをやさしく伝えるために、「たとえば」という感じで話されたものです。そして特にお金、それも借金にたとえたものが目立ちます。こういう話があります。
ある時、主人が3人の者たちに、それぞれ同じ金額を渡して、それを上手につかうように期待しました。するとある者は5倍の利益を出し、またある者は2倍の利益をあげました。これを御覧になった主人はとても嬉しくなりました。
ところが、別の者は主人が恐ろしいので怒られないように、しっかりと隠しておきました。用心深くこれで良かったのかというと、そうではありませんでした。何と任されていたものが奪い取られ、厳しいお叱りを受けてしまったのです。(マタイ25:14〜30参照)
ここでたとえられているのは、神様の言葉です。人を生かし、支え、強める力がそこにはあります。ですからそれを増やすということは、その神様の言葉をしっかりと学びなさいということでした。最初の二人はしっかりと応えていきましたので、それぞれ祝福をいただきましたが、最後の者は生かすのではなく、隠してしまいました。
それでは何にもなりません。神様の言葉はあなたを生かすために語られ、聖書として届けられています。その言葉をしっかりと受けとめ、今日も一日支えられてまいりますよう、お祈りしています。