いかがお過ごしですか。北中山教会の坂本です。
私たちは、誰もが「愛してもらいたい。」という思いに満ちています。人は赦せないけれど、自分は赦されて当然だと思っています。人を理解しないのに、自分は理解してほしいと願うのです。
そもそも「愛」とは、どのようなものでしょうか。それを説明するのは難しいことです。また、その愛を実行しなくては何の意味もありません。けれども、神様の愛は、言葉で説明する必要がありません。イエス・キリストというお方が、私たちの罪のために十字架にかかって死んでくださったからです。
「愛」とは、まず「自分の命」というかけがえのないものを与えるということです。そして「愛」とは、行動を伴うものであるということです。イエス様は「理想的な愛」を語っただけのお方ではありませんでした。事実、ご自分の身を捨てて私たちを愛してくださったのです。
このような愛は、私たちが知らなかった「愛」でした。
聖書の言葉
「イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。…子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。」 ヨハネの手紙一3章16、18節