おはようございます。仙台カナン教会の國安光です。今月は『死』についてご一緒に考えたいと思います。
先日、仙台カナン教会で長きにわたって大切な奉仕をしてくださった一人の男性の葬儀がありました。男性が大事に読んでいた聖書の言葉がありました。
「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな。」(ヨブ1:21・口語訳)
主が取られた、これは大切なものをなくしてしまうことをあらわします。喪失は悲しみをもたらします。でも取られるという言葉は、イエス様を信じる者にとって、祝福をもたらす言葉でもあります。
神様はイエス様の十字架の死と復活によって、わたしたちに死のかなたに天国の希望があることを教えてくださいました。ご自分を信じる者に、天国への切符を与えてくださる、そして天国に入るそのときまで、わたしたちと共にいてくださる。そして終わりの日に、わたしたちもイエス様のように復活し、愛する家族や友人と再会をすることができる、驚くべき祝福を約束してくださいました。
イエス様を信じる者にとって、取られるというのは、地上のものから解き放たれ、天国の希望に入れられるということです。「主のみ名はほむべきかな!」、あなたに天国の希望が与えられますように。