おはようございます。仙台教会の風間義信です。
先日、「喜怒哀楽」と大きな字で書かれているポスターが目に飛び込んできました。私たちは喜んだと思ったら悲しんだり、良かったと思ったら落ち込んだり、さまざまなことで揺さぶられます。嬉しいことに包まれるのは良いのですが、心の中に大きな怒りが溜まり、爆発してしまったらどうでしょうか。
この感情こそ、人を支配する拭いきれないものです。そして、その根深いところにあるのが罪です。イエス・キリストが現れたのは、人間の心の奥深くにある罪に気づかせるためです。けれども気づくだけで終わってしまったら、知らない方がよかったとなってしまいます。イエス・キリストは気づかせた以上、わたしの下に(その罪の重荷を)持っていらっしゃいと招いておられます。それが十字架です。
イエス・キリストがその怒りをしっかりと担い、十字架におかかりになったということは、本当に私たちを生かすためだったのです。怒りに支配されたところから、罪に染まったところから解放され、一人一人に与えられている喜びに生きていって欲しい、その願いはあなたにも向けられています。
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイによる福音書11:28)