ほほえみトークでは、月刊誌「リジョイス」との連動企画を行っています。原稿は番組からの抜粋要約となっており、月刊誌「リジョイス」のコラム欄でもご覧になれます。
【Q】わたしの生い立ち
クリスチャンの両親のもとに生まれ、CSに通い、小学校で初めて自分では当たり前だったお祈りを給食の時間に誰もしないので、違和感を持つようになりました。
6年生になって、罪人と一緒ならまだしもイエスさまがたった一人で十字架におかかりになったことに衝撃を受け、信仰告白を願いました。ところが父に間髪入れず「まだ早い!」と言い渡され、道が閉ざされ挫けてしまいました。中学では、親への対抗心から、お寺に行き、カトリックのシスターと会い、コーランを読み「何か絶対に信じるに足る道を見つけよう」と必死でした。
【Q】神様からの呼びかけとわたしの応答
ところが高校はなぜか自然にミッションスクールに入りました。讃美歌も歌えますし、暗唱聖句もできましたし、チャペルが新鮮でした。校長先生が神様からの「コール」に「レスポンスすること」これこそ人間の「レスポンスビリティ」と語られ納得できました。それからはチャペルのメッセージが日々心に降り積もるようになっていきました。もちろん告白の決断は親には言いません。自分で願いを出し、信仰告白式では牧師が嬉しさのあまり号泣されました。
【Q】偽物から本物への気づき
わたしは、間違って神様に依り頼んでいたのではないかと50代を前にして気づきました。礼拝にも毎週与り、夫と子ども達との家庭礼拝もしていますが、神様に「祈る部分」と「祈らない部分」のある、自分を神とするような傲慢さを示され悔い改めに導かれました。
【Q】刻まれたみことば
「わたしは必ずあなたと共にいる」(出3章12節)です。好きな個所は沢山あるのですが、「刻まれた」となるとこの一語につきます。わたしはクリスチャンホームに生まれて感謝しています。そうでなければ頑固で神様に立ち返らなかったでしょう。
【Q】フリースクールで体験したこと
友人の息子さんが不登校でフリースクールに通っていた頃、危ないことを起こしかねない状態だったので見守ってほしいと言われてスタッフとなりました。最初の日、教室の前で女の子がうずくまっていましたので、わたしも黙って2時間隣りに座っていました。その後、徐々にうちとけてくれました。親は子どもを律法で育てていこうとするので、子どもが板挟みになっていないでしょうか。少し子どもから手を離して、祈りつつ見守るほうが良いと思うこともあります。これからも与えられた賜物を感謝し、主がご入り用なら用いてくださる場所どこでも、喜んで主に従って歩みたいと思います。