イスラエルの民の状態は、何と悲しい、あわれなものだったでしょう。
十部族は、父祖に約束された国から遠くにやられてしまいました。自分たちの国にもどる希望もなく、知らない国に捕われの身となってしまいました。その罪のため、とうとう神さまから見離されてしまったのです。
ユダの状態も似たようなものでした。国に残っている人は、わずかでした。そして、そのわずかも、悲しみのなかにいました。というのは、ほとんどの家族から、だれかが戦争で殺されたか、捕虜にされたものがでていたからです。
しかし、一つだけよいことがありました。民を罪に導いた悪いアハズ王が死んだことです。今は、その息子のヒゼキヤが王でした。ヒゼキヤの父は悪い人でしたが、母は、預言者の娘でよい人でした。彼女は、主をおそれることを子供に教えたのでした。
ヒゼキヤは、ユダを治めた王のなかでも、もっともよい王でした。統治の初めから、彼はダビデのように主を求め、父のした悪いことを何とか改めようとしました。神さまはヒゼキヤとともにあり、ヒゼキヤのすることをみな祝福されました。
アハズの統治のとき、神さまの宮が閉ざされ、いけにえがなかったので、レビ人は、方々に散り、神殿はよごれて、ごみだらけになっていました。
ヒゼキヤは、当地の最初の年に、父の閉めてしまった主の宮の戸を開きました。かれは、レビ人や祭司をみな集めて、宮を掃除するようにいいました。神さまが自分たちを見捨てられたのは、父が神さまを忘れてしまったからだということを、ヒゼキヤは知っていたのです。
レビ人は、宮のごみや泥を掃除するために、宮にゆきました。ごみを集めて、キデロン川に捨てました。
この仕事だけで8日間かかりました。それがすむと、レビ人はヒゼキヤ王のところにきて、「われわれは主の宮をことごとく清め、また祭だんと備えのパンの台とそのすべての器とを清めました。またアハズ王が捨てたすべての道具も整えて清めました」といいました。
神さまの礼拝が、何年も忘れられてしまっていたので、どうやって神さまを礼拝するのが正しいのか、だれもよくわかりませんでした。この若くて熱心な王は、民を本当の礼拝にたちかえらせるため、最善をつくしました。
彼は町の指導者たちを集めました。そしていっしょに主の家にきました。そこで彼らは、神さまにそむいたユダとイスラエルの大罪をあがなうため、いけにえをささげました。
ヒゼキヤは、ずっと昔、ダビデ王がしたように、レビ人の合唱隊をつくりました。はん祭がささげられるとき、合唱隊はダビデの詩篇から賛美のうたをうたい、祭司たちはラッパを吹きました。全会衆は、頭をさげて、礼拝しました。
王はだれでも主に感謝のささげ物をしたいものはしてよいといいました。多くの人がたくさんのささげものをしました。
預言者イザヤは、これらのことに関して、ヒゼキヤに助言して助けたに違いありません。規則正しい神さまの礼拝がユダにふたたび確立されたのを見て、喜んだに違いありません。
ヒゼキヤ王は、民が主に立ち返りたがっていることを知って、もう一歩進んで、過ぎ越しの祭りを復活することに決めました。
王は、過ぎ越しの祭りを守るためにエルサレムにくるようにと、人々に手紙をだしました。これらの手紙は町から町へ、ユダの国だけでなく、かつてはイスラエルの王国に属していた国々にも回覧されました。
アッスリヤの王が国を征服したとき、イスラエル人をみな捕りょにしたわけではありません。もっとも貧乏な人たちは、残されていたのです。これらの気の毒な人たちには王がなかったので、ヒゼキヤは祭りに加わるようにさそいました。
ユダでは、民がみな、王がだした布告に従いました。しかし、残されていたわずかなイスラエル人の大方のものは、もう長い間、偶像を礼拝してきた人たちでしたので、過ぎ越しの祭りのことなど、すっかり忘れていました。
「過ぎ越しの祭りにゆくんですって?いいえ、われわれはそんなつまらないことのためにエルサレムには行きません」と彼らは嘲りながらいいました。
それでも、イスラエルの何人かの人は、ヒゼキヤの手紙に従いました。悪いイスラエルにもまだ自分たちの神を礼拝している家は残っていました。大勢の人が過ぎ越しの祭りを守るためにエルサレムにきました。みなはもう一度過ぎ越しの祭りが守れるのをとても喜び、7日が過ぎると、もう一週間、この楽しいときを守ることに決めました。ソロモン王のとき以来、このような祭りがなかったので、エルサレムは喜びに湧きかえりました。
ヒゼキヤ王は、もう一つ大切なことをしました。彼は民に、自分たちの穀物、ぶどう酒、油、その他自分たちのつくっているすべてのものの十分の一を宮にもってこさせました。神さまは、祭司やレビ人たちは、神さまの聖い宮の奉仕にたずさわるべきで、自分たちの田畑をもってはいけないと、まえに命じておられました。
長い間、祭司たちは、苦労をしてきました。民が、主にささげ物をもってこないときには、祭司たちは飢えるよりしかたありません。
そんな時代はもう終わりました。ふたたび、民は自分たちの穀物、ぶどう酒、油、はちみつの十分の一を主の家に、主のしもべたちのためにもってきたのです。
イスラエルの民が、アッスリヤに捕虜として連行されて以来、ユダの民は、自分たちにも同じことが起こるのではないかと終始恐れていました。もしアッスリヤの王が自分たちの小さな王国を攻めてきたら、とうてい勝つ見込みのないことを知っていたからです。
ヒゼキヤが14年間治めたころ、民らがいちばん恐れていたことが起こりました。アッスリヤのセナケリブ王が兵を全部ひきいて、ユダの民を捕えにきました。この大王の来ることを聞いて、ユダの民の心は、恐れでいっぱいになりました。
セナケリブは、このように偉大で大きな軍を備えていましたが、ヒゼキヤ王はあきらめませんでした。神さまが助けてくださることを信じました。彼は、つかさたちと相談し、セナケリブの軍隊が飲料水に困るように、町の外の泉の水を全部せきとめてしまうことにしました。
ヒゼキヤはまた、エルサレムの城壁でこわれている箇所を修理し、もっと高くしました。また初めにあった城壁の外側にもう一つ城壁をめぐらしました。民はどんなに早く、一生懸命に働いたことでしょう。
彼はまた、軍の長を兵の上におきました。これらの指導者たちを集めて、王は「心を強くし、勇みたちなさい。アッスリヤの王をも、彼とともにいるすべての兵をも恐れてはならない。われわれとともにおる者は彼らとともにおる者よりも大いなる者だからである。彼とともにおる者は肉の塊である。しかし、われわれとともにおる者は、われわれの神、主であって、われわれを助け、われわれに代わって戦われる」と励ましました。
アッスリヤの大軍がやってきたとき、主に頼るには、非常な信仰が必要でした。セナケリブは当時、世界を征覇しており、征服した国の国民をアッスリヤの国に連れ去っていました。彼は、その優秀な軍隊をひきいて前進し、一つ一つの国を征服していきました。
アッスリヤは、征服した国々に対しては残酷でした。その軍隊のいくところ、廃墟となっていきました。町々はいぶる灰と化し、つかさたちは死ぬまで拷問にあい、戦ったものは、容赦なく殺されました、おもな道路は、ニネベにもってゆく掠奪品を背負う動物や捕りょで、こみあうほどでした。
この軍勢が、自分たちを攻めにくると聞いて、ユダの人々が恐れたのも無理はありません。
セナケリブ王は、一直線にエルサレムにこないで、はじめに、ユダヤ人を攻める前に征服しようと考えていたペリシテの一つの町にゆきました。彼は、自分の将軍と一群の兵にユダヤ人とヒゼキヤ王あてのメッセージをもたせてエルサレムに行かせました。
これらの人は、できるだけ、エルサレムの町に近づきました。王の家来が何人か、彼らを迎えにでてきました。すると将軍のひとりが、「ヒゼキヤに、大王すなわちアッスリヤの王がこういっていると伝えよ。『あなたがたは何を頼んでエルサレムにこもっているのか。わたしはこの町を攻めにくるので、あなたがたは飢えとかわきのために死ぬであろう。ヒゼキヤは、主なる神がアッスリヤ王の手からあなたがたを救ってくださるといっているのか。その神がどうしてあなたがたを助けることができるだろう。このヒゼキヤは、主のもろもろの高い所と祭壇を取り除き、ただ一つの祭壇のまえで礼拝するようにといった者ではないか』といいました。
もちろんこの人は、取り除かれた祭壇が、異教のものだったとは、理解できませんでした。彼はセナケリブの言葉をかりて、『あなたがたは、わたしと先祖たちが、他の国々のすべての民にしたことを知らないのか。それらの国々の民の神々は、少しでもその国を、わたしの手から救いだすことができたか。それで、どうしてあなたがたの神が、あなたがたをわたしの手から救いだすことができよう。あなたがたはヒゼキヤに欺かれてはならない。そそのかされてはならない。いずれの民、いずれの国の神も、その民をわたしの手から救いだすことができなかったのだから、まして、あなたがたの神がどうして私の手から、あなたがたを救いだすことができようか』」と続けて言いました。
アッスリヤの将軍は、町の城壁に立っている一般の人にもわかるように、これをユダヤの言葉で大声で言いました。
ヒゼキヤの将兵たちは、「みなのものがわかるユダヤの言葉で話さないで、スリヤ語で話してください。われわれ将兵には、スリヤ語がわかります」と言いましたがアッスリヤの将軍はぶっきらぼうに、「われわれは城壁にいる人々にその人の言葉で話そう。われわれの主は、将兵にではなく、民に話すように命じた」と言って、もっと近寄り、ありったけの声でこのメッセージをもう一度、叫びました。
エルサレムの城壁にいた民はアッスリヤの将軍のこれらの言葉を聞き、恐れおののきましたが、一言もいいませんでした。ヒゼキヤ王が返事をしないように、彼らに命じたからです。
アッスリヤの将軍は、どんな神も、その民をセナケリブ王の手から救いだせたことはないし、これからもないと、先に城壁で叫んだ豪語を文書にして、ヒゼキヤ王におくってきました。
ヒゼキヤ王が、この手紙を受け取ると、彼は主の宮に行き、手紙をひろげて、神さまに祈りました。彼はアッスリヤ人が異教国の神々を滅ぼすことができたのは、これらの神々が偶像にすぎなくて、無力だったためであることを、知っていました。ヒゼキヤは、地上のすべての国々が、神さまだけが主であることを知るために、セナケリブからユダの民を救ってくださいと祈りました。
ヒゼキヤは祈ったあとで、家来に、次のようなメッセージを預言者イザヤのもとにもたせました。
「きょうは悩みの日です。主は、アッスリヤ王セナケリブが生ける神をそしったもろもろの言葉を聞かれたかもしれません。そして主は、その聞いた言葉をとがめられるかもしれません。それゆえ、イザヤよあなたの神に助けてくださるよう、祈ってください。」
ヒゼキヤの使者は、城壁にいた人々にアッスリヤの将軍が叫んだことや、また手紙に書いてあったことをみなイザヤに話しました。
イザヤは、ヒゼキヤへの伝言を使者に伝えました。「神さまは、セナケリブに対するヒゼキヤの祈りをお聞きになりました。ヒゼキヤはアッスリヤ王の豪語を恐れる必要はありません。神さまは、セナケリブを自分の国に帰らせ、そこで彼は殺されるでしょう。」
アッスリヤの王が多くの戦いで勝利を得たのは、自分の力によるのではありません。神さまが彼に勝つ力を与えられたのです。そして、今度はセナケリブ自身に何の力もないことを、主は示されます。
イザヤは使者に「ヒゼキヤに、アッスリヤの王はこの町にこない。またここに矢を放たない。彼はきた道を帰って、この町にはいることはない。主はこれをご自身のため、またそのしもべダビデのためにこの町を守って、これを救うであろう、といいなさい」といいました。
直接神さまからきたこのメッセージは、どんなにヒゼキヤをなぐさめたことでしょう。彼は神さまを信じましたし、神さまも町を守ることによって、その信頼にこたえようとしてくださるのです。
その夜、主のつかいがきて、アッスリヤ陣営の兵18万5千人を撃ちました。朝、これらのものは陣営の地面に死んでいたのです。すばらしいアッスリヤ軍は全滅です。
今や、セナケリブの力はどこにあるのでしょう、一夜のうちに、全部、なくなってしまいました。
はずかしめられ砕かれた高慢な王は、家路に向かいました。弱く力のない人、軍隊のない王となって帰っていきました。それからしばらくして、セナケリブが自分の神の家にはいったとき、自分の息子たちにつるぎで刺し殺されました。
みなさんは、ユダのまわりの国々が神さまがこのアッスリヤの大王から、その民を奇蹟的な仕方でお救いになったことを聞いたと思いますか。もちろんです。そして多くの人が、エルサレムにいるこのすばらしい神さまの宮とヒゼキヤ王に、おくりものをもってきました。
それからまもなく、ヒゼキヤ王は重い病気にかかりました。預言者イザヤがその病床にきて「死ぬそなえをなさい。あなたのときはきました」といいました。
これを聞いてヒゼキヤは大そう悲しみました。まだ若いのに、もう死ななければならないのでしょうか。また40才にすぎません。彼はもっと長い豊かな統治をしたかったのです。
ヒゼキヤは、壁に顔を向け、泣き始めました。涙がほほを伝わりました。
彼は主に、もっと生かしておいてくださるように祈りました。「ああ主よ、わたしが真実と真心をもってあなたのまえに歩み、あなたの目にかなうことを行ったのを、どうぞ思い起こしてください。」
主は、イザヤが町から去るまえに、ヒゼキヤの祈りにこたえられました。主は預言者に、もどって、ヒゼキヤに伝えるようにいわれました。「主はこう仰せられる。『私はあなたの祈りを聞き、あなたの涙を見た。見よ、私はあなたをいやす。3日目にあなたは主の宮に上るであろう。また、わたしはあなたのよわいを15年増す』」と。
今まで生を受けた人で、自分がいつ死ぬかをはっきり知っていた人は、ヒゼキヤだけだと思います。彼は、ちょうど15年間、長生きしました。神さまは彼を喜ばれ、民は彼を愛し、異教徒も彼を尊敬しました。
ヒゼキヤは、富も名誉も与えられました。彼は、金、銀、宝石のための宝庫をつくり、また穀物や酒、油を入れるための穀物倉、動物のための家畜小屋もつくりました。
やがて、約束の15年が終わりました。ヒゼキヤは父祖たちとともにねむりました。彼は、ダビデの子らのもっとも立派な墓に葬られました。ユダ、エルサレムの全部の民はこの名君を尊びました。