皆さん、ご機嫌いかがですか。私は高知県下ただ一つのミッションスクール、清和女子中高等学校の校長、黒田朔です。毎朝、全校礼拝で今日のチャペルのお話が生徒たちの心に届くように、と願って話しています。今日のお話もあなたの心に届くようにと願っています。
あなたは今、困難に直面して悩んでいらっしゃいませんか。
この間清和にお招きした、国際線客室乗務員勤務46年、勤務年数の日本人世界記録を毎年塗り替えています…と笑いながら自己紹介された、森木房恵さんがこんなふうにおっしゃっていました。「わたしはユニフォームを着るのが好きです。46年間色々ありました。でも生活の中でどんなことがあっても、ユニフォームを着て一旦飛び立つと、雲の上はいつも青空でした。」
実は、私たちにも広がっている、青空があるんですよね。
ここ3週間、続いてイエスの弟子のペテロの失敗を見てきたわけですが、でも今日は、ペテロの失敗の中でも極め付けです。
12人の弟子全員がそろって、過越しの祭りの食事の席についていたとき、誰一人、この食事が最後の晩餐となり、数時間後にイエスはとらえられ、違法の裁判で死刑に定められ十字架にかけられる、なんてなことは、思いもしていませんでした。
そんな中でイエスはこのように、切り出されました。
「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。」いつものノリで、シモンは答えました。
「主よ。ごいっしょなら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」そう言うシモンにイエスは、「ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」
やがて、ゲッセマネと言うオリブ畑で祈っているときに、事態が急展開しました。町の有力者たちが、兵隊と一緒に押し寄せてきて、イエスを捕まえ、裁判にかけました。
シモンは裁判の様子を見届けようと、勇気を奮って大祭司の庭に紛れ込んでいたその時、女中など3人の人がシモンを見つけて言いました。「この人、イエスと一緒にいたわ」
「知りません」「違います」「わかりません」。3度目の言葉が終わらない先に、「コケコッコー」。
イエスと目と目が合いました。そしてその時初めて、シモンは思い出したんです。「きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」彼は外に出て、男泣きに泣きました。自分がそんな腰抜けで、卑怯な男だとは思ってもいませんでした。
事態はどんどん変わり、イエスの釈放の可能性が否定され、十字架刑が確定し、処刑場までの引き回しの後、どくろと呼ばれている処刑場で、イエスは処刑されました。
ごめんなさい、の一言も言えずに、イエスは息を引き取られてしまいました。ことは、終わってしまったのです。
しかし、聖書はもう一つの事実を、記録していました。
イエスは仰ってたんです。「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい(ルカ22:31−32)」。
イエスさまは、私たちが失敗することをご存知の上で、失敗する前から、失敗の向こうに立ち直って、せっせと人を助けているシモンを見ていらっしゃったのです。
そして、イエスは復活の後、シモンを呼び出し、自分の弱さ、限界を、思い知ったシモンに、「わたしを愛するか、私の羊を飼いなさい」と信頼を築きなおして下さいました。いつもやり直しのチャンスをくださる神様が、今日、私にもあなたにも仰います。
聖書の言葉 「立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」
4週間、ありがとうございました。また、ご一緒に聖書の話をしたいと思います。ごきげんよう、さようなら。