おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
最近、「ひとりでいるのが寂しい」という声をよく耳にします。それも、お年を取られた男性から、そんな言葉を聞かされます。
自分も歳から言えば、とっくに初老を過ぎ、還暦を迎えて、老人と呼ばれる年齢です。もっとも、平均年齢が80歳を超えた今の時代では、60を過ぎたからと言って、年を取ったとは言えない時代です。
それは、ありがたい幸せな時代ということができますが、しかし、60を過ぎても、なお20年以上の先があるというのは、余計な心配が頭をよぎる時代でもあるということです。
わたしはまだやっと60を迎えたところですから、この番組をお聴きになっている方の中には、わたしのことをまだまだ若造に過ぎないと思う方もいらっしゃることでしょう。そういう意味で、わたしの先を行く諸先輩方の生き方は、わたしにとって色々と考えさせられます。先ほどご紹介した「ひとりでいるのが寂しい」という声も、わたしにとって心に残る言葉でした。
聖書の中に、神が人を見ておっしゃった言葉が記されています。
「人が独りでいるのは良くない」(創世記2:18)
これは、最初の人類であるアダムを見て、神がおっしゃられた言葉です。この時、人と呼ばれる存在は、文字通り、アダム一人しかいませんでした。そして、この言葉はしばしば、結婚という制度が神の意志に沿ったものであることを証する言葉として引用されます。
確かに、そのとき神がお造りになったのは、女性の人間でした。独りでいるのが良くないのであれば、もう一人男性を造っても良かったわけですが、そうではありませんでした。そういう意味で、男にとっての女性の存在の意義は、はかり知ることができないほど大切なものです。
しかし、この「独りでいるのは良くない」という言葉は、結婚の勧めと理解するだけでは、偏っているように思います。確かにあのときは、アダムの助け手として、神は女性を造り、その女性とアダムは夫婦となりました。
けれども、「人が独りでいるのは良くない」という状態は、結婚によって解決し、完結したのではありません。彼らから子供が生まれ、子孫が広がり、人が独りでいない社会が出来上がりました。こうして神の言葉は、さらに意味深いものとなったのです。
「ひとりでいるのが寂しい」と感じるのは、そういう意味で、人間にとって当たり前の反応と言うことができます。確かに多くの男性は、会社組織の中で働いている間は、それをあまり意識しなかったかもしれません。仕事の一線から退き、周りから人がだんだんと減るとき、どこに「自分は独りではない」と思える共同体を見出すことができるのでしょうか。