おはようございます。宿毛教会の酒井啓介です。
神様は、モーセを通して十戒をお与えになりました。十戒には、大切な生き方が記されています。
今日は十戒の第3戒の要点を抜粋してお読みします。
第3戒:あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
まず神である主は、私たちを主の名を呼ぶことへ、招いておられます。「主の名を呼び求める者はだれでも救われる(ロマ10:13)」とローマの信徒への手紙10章で述べられていますし、またエレミヤ書33章3節では、「わたしを呼べ」とはっきり言われています。
その場合、まことの主の名を呼ぶ時に、主の名と共に働く神様に対して相応しい心構えをもってお呼びすることが大切です。
ところが、昔、偽預言者という自分勝手な預言者たちは、自分の思いを主の御心のように語りました。例えば、旧約聖書に登場する偽預言者のハナンヤという人は、「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。わたしはバビロンの王の軛を打ち砕く。(エレミヤ28:2)」と主の名を利用し、王や国民をただ喜ばせようとしたため、ハナンヤは神の裁きを受け、バビロン捕囚は起こりました。
物事を思い通りにするためであったり、自分の立場を正当化したりするために、主の名を利用することは避けるべきです。また、苦しい時や、厳しい渦中にある時に、神様に失望するのではなく、私たちの思いを越えて働かれる主を信じて、主をほめたたえることが求められます。罪深い私たちは、全能の主の御前にへりくだりましょう。そして、キリストによる贖いの恵みによって、祈り願う態度が大切です。
キリストを信じる人は、主の名を帯びています。主は御自身のご性質の内、私たちに伝達なさるご性質を相応しく与えておられます。その性質は、おもに神の知恵、知識、真実、聖、義、善があり、私たちは、これらの神の性質を言葉や行ないで表わし、主の栄光を表わすことが求められています。
さらに、主の名において示された、聖書や教理、聖書から正しく導かれた教会の規則などをきちんと重んじて、神の栄光を表わすことが求められています。
私たちがうっかりして間違いやすいことは、聖書や教理、教会の諸規則などについて、自分に都合良く、偏った解釈をする間違いです。主の御心に添って理解するために、教会の礼拝に集うことが大切です。
また、主の名において誓うこともとても重大なことです。
教会では、教会員が「神と教会の前に謹んで誓約いたします」と、主である神の名をあげて誓約するものがあります。万が一、誓約事項が破られることがあれば、その人の人生が誤った道へそれていかないように、主の名において戒規という訓練が執行され得ます。
主の名を用いることは、極めて責任の重いことで、私たちの生き方を律するものであると同時に、主御自身も、主の名にかけて、キリストをまことに信じるものを、祝福し救いの完成へ必ず至らせることを約束なさっておられます。
ですから、本当に心から、「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」のです。
最後にもう一つ述べますが、世間では、程度が極めてすごいことを表現する便利な語として、「神」が多用・乱用されています。「だれそれさんは神だ」と、悪気なく使用されるのでしょうが、神様御自身に対しては、大変失礼なものです。単なる便利さのために、神の名をみだりに唱えるのは避けましょう。
むしろ私たちが神様を畏れ、神の名を恐れを持って口にするなら、神様御自身が栄光を表わしてくださいます。神をほめたたえる一週間をおくることができるようにお祈りいたします。