いかがお過ごしでしょうか。国立聖書教会の野島邦夫です。
「キリスト教は難しい」という声を、よく耳にします。どこが難しいのでしょうか?今週はこの問題を、様々な面から考えています。そして、それが誤解なら正しましょう。
偏見を捨てて、キリスト教そのものを知りたいと願う人は幸いです。しかし、このような人もやはり、「キリスト教は難しい」とたいてい言われます。なぜでしょうか?
まず挙げられる理由が、翻訳聖書の問題です。キリスト教の教典・聖書は非常に古い時代に、日本から遠く離れた地域で作成された書物です。日本語で書かれてはいませんし、背景の文化社会も日本とは大きく異なります。
聖書ほど、世界の多くの国々で、丁寧に繰り返し自国語に訳され続けている書物は他にありません。
日本でもそうです。例えば、現在日本の多くの礼拝で用いられている翻訳聖書は、翻訳として大変立派な日本語です。全く前提知識なく直接読み始めても、かなり理解できます。さらに理解の助けのため、各段落には「小見出し」が付いていますし、巻末には聖書地図や簡単な用語解説まであります。
それでも、「古典・古文書の翻訳」ですから、どうしてもわかりにくい。
特に、表面的意味を超えて信仰的意味となりますと、自分一人で読み取ることは困難です。
それを、現代日本人にわかりやすく解説するのが説教です。