いかがお過ごしでしょうか。埼玉県羽生市にある羽生栄光教会の村田寿和です。
神はいるのか。神がいたとしてもそれは残酷な神ではないか、と考えたことはありませんか。私たちは世の中の悲惨な出来事を通して、ついそのように考えてしまいます。
しかし、世の中の悲惨な出来事が人間の罪に由来するものであり、神様は人間をあらゆる悲惨と罪から救うために、愛する御子を遣わしてくださったとしたら、どうでしょうか?
神様は、私たちをあらゆる悲惨と罪から救うために、愛する御子を十字架の死に引き渡されたとしたらどうでしょうか?それでも、神は残酷であると言えるでしょうか?決して言えません。なぜなら、そのことによって、神様は御自分の愛を示されたからです。親にとって我が子はかわいいものです。独り子であればなおさらそうです。
しかし、神様はその独り子を、私たちをあらゆる悲惨と罪から救うために、十字架の死へと引き渡されました。イエス・キリストは、私たちの身代わりとして、恥ずかしくて苦しい、呪いの死を死んでくださったのです。イエス・キリストが私たちの受けるべき呪いをすべて十字架のうえで受けてくださいました。ですから、イエス・キリストを信じる者はどのようなときも、祝福されているのです。イエス・キリストを信じる者は、神様の愛と祝福の中を歩んで行くことができるのです。
今日の聖書の言葉。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」ヨハネによる福音書3章16節