いかがお過ごしですか。新座志木教会の杉山です。
私たちの人生には、時に、辛いこともありますが、逆に、すべてがうまくいっているように感じられる時もあります。そのような時には、知らず知らずに、誇らしい気持ちになっていることがあります。
このようにうまくいっているのは、自分がそうなるために生まれてきたから、このように成功しているのは、自分が努力したからだ、というようにです。
しかし、聖書には、ちょっと角度を変えてみてはどうか、と言う提案があります。それは接木のたとえ話です。接ぎ木というのは不思議なものです。それまで関係のなかった木の枝が、全く別の木に差し込まれますと、まるでもとから生えていたかのように、栄養を受け取ってすくすく育っていく、ということが起こります。そのようにして、枝と台木とは、一体的な関係になり、枝はいつも台木によって支えられるようになります。そして大きく育っていくことさえあります。
だからといって、実際にはその枝は、台木からの栄養なしではまったく生きていけないのです。
聖書はこの事実について、「あなたが根を支えているのではなく、根があなたを支えているのです」と記しています。
また別の箇所には、「神様の慈しみに留まる」という言葉があります。人間が、生き生きと生きていくことができる。それは実は、神様が私たちを慈しんでくださっているからではないか、というのです。