ご機嫌いかがですか。宇都宮教会代理牧師の豊川修司です。
今朝の御言葉は詩編23編2節、3節「主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる」という箇所です。
「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない」となぜいえるのでしょうか。もっともっと必要なことがあると思います。けれども羊飼いは、自分の羊をよく観察しています。疲れた羊を休ませるために、青草とオアシスを見つけて、疲れた羊に食事と休息を与え、水で乾いたのどを潤します。こうして羊に一番大切な生命を与え、新たな力を得て歩くようにするのです。だから詩人は、「わたしには何も欠けることがない」と告白しています。
詩編23編はユダヤの国ダビデ王の詩です。ダビデ王は少年時代羊飼いを経験しました。今は、信仰者として人生の歩みを振り返りつつ、告白しています。緑の青草や憩いの水のほとりは、信仰者の生命を支える霊的な食べ物です。申命記8章には、「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる」とあります。信仰者の力は御言葉にあるのです。
信仰者は礼拝で語られる御言葉で魂が潤され、魂を生き返らせ、明日への力が与えられます。教会こそ、草原でありオアシスです。どうか教会と共に、歩む人生の道を選んでください。