ご機嫌いかがですか、千葉県八千代市にあります勝田台教会の牧師をしております、坂井孝宏と申します。
今朝は、こんな御言葉に耳を傾けましょう。旧約聖書のイザヤ書40章の6節から。
「呼びかけよ、と声は言う。わたしは言う、何と呼びかけたらよいのか、と。肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの。草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。この民は草に等しい…。」
何と呼びかけたらよいのか…。まさにそういうふうに思うことが、この数年続いているように思います。 熊本での大きな地震というのが記憶に新しいと思いますが、自然の脅威というものを前にしますと、私たちの存在のはかなさに気付きますね。
私たちの世界はまことに不確かな、揺れ動いてこわれるものに過ぎなかったんだっていうことを、改めて思い知らされます。
そういう中で、人間が人間に、何と呼びかけたらよいのか…。
しかし、人間が言葉を失ったところに、神の言葉だけが残ります。先ほどのイザヤ書の預言は、こういうふうに続いていきます。
「草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。」
草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つのです。永遠に揺らぐことのない聖書の言葉が教えてくれる、神の愛と真実に信頼して生きるという世界が、ここにはあるのです。