いかがお過ごしでいらっしゃいますか。江古田教会の浅野正紀です。今日も聖書の言葉に共に耳を傾けましょう。
私たちが神さまを信じて生きていく時、決して忘れてはならないことがあります。それは、どんな時も、どんなことでも、私たちは、神さまに祈ることができるということです。
ただし、祈りとは、決して自分の願いを自分の努力によって神さまに適えてもらおうとすることではありません。常に神さまの思いが何なのかを考え、その神さまの思いに自分の思いを合わせることが祈りの目的です。
主イエスは、十字架にかけられる前に、ゲツセマネで次のように祈りました。マルコによる福音書14章36節です。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」。
「アッバ」とは、実際に主イエスが話していたアラム語で、子どもが父親に親しみをこめて呼びかける言葉です。「この杯」とは、主イエスがこれから受けてくださる十字架の苦しみのことです。
ここで、主イエスは、神さまに熱心に願うことで、十字架を取り去ってもらおうとしているのではありません。ただ天の神さまの御心に適ったことが実現するようにと祈っています。
私たちが祈る時に、いつも考えたいことは、私たちの祈りが神さまの御心に適ったものとなるようにということです。