おはようございます。川越教会の木村香です。
救いということについて、求められるのは悔い改めだ、と申しました。悔い改めとは神様を信じる信仰と、実は一体、一枚の紙の裏表のようなものです。切り離すことができないものです。悔い改めのない信仰など、頭の中だけのものですし、信仰のない悔い改めなど口先だけのものにすぎません。
この、真実の悔い改めと信仰を持ちなさい、と神様はおっしゃいます。実際にはどうすればいいのでしょうか。
聖書に「わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得て」います、とあります(ローマ5:1)。
「信仰によって義とされた」と。そして「イエス・キリストによって神との間に平和を得ている」と並んでいます。
「信仰によって」と「イエス・キリストによって」は入れ替えても良い言葉です。同じく「義とされた」と「神との間に平和を得ている」も入れ替えることができます。
つまり、信仰とはイエス・キリストを信じること。イエス様を信じることによって義とされるとは、正しいと認めてもらえること、悔い改めが受け入れられた、ということです。
正しい信仰を持つことによって神様との間に平和を得ることができる、とは、わたしたちが天国に行くのに、もはや障害物がなくなったということです。
救いなんて関係ない、と言っていたわたしたちが、今や天国に入れていただけるのです。