おはようございます。川越教会の木村香です。
随分前のことなんですが、ある人にキリスト教のことをお話ししたときのことです。
わたしの言い方も悪かったかもしれませんが、「あなたは救われる必要がある」。するとそれまで黙って聞いていてくれたのですが、「大きなお世話だ、救いなんて」。
救いとは溺れかかっている人か、希望を失った人か、ごく貧しい人か、または犯罪者か。いずれにせよ弱い人間だけのこと。俺はごく普通の人間だ、そこそこ楽しく生活している。助けだの救いだのなんて関係ない、放っといてくれ、ということだったのでしょう。それで大きなお世話と言ったのかも知れません。
でも、大きなお世話だ、で済ませてしまっていいのでしょうか。だれの助けも受けないで一生を過ごすことができるのでしょうか。
赤ちゃんの時から、家庭生活は家族と一緒です。会社勤めをするのだって、多くの人との関わりの中でのお仕事です。食べ物のことでも、自分で作ったものでないお米や野菜、お肉です。衣食住のすべてがそうではありませんか。他の人との関わりなしの生活など、一日といえども成り立ちません。
関わりと言いましたけれど、助けですね。人の助け、いえ、神様の助けなしには生きてはいけません。
それでも「救い」とは少し違うかも知れませんね。
そうですね、人生が100年、この世だけのことで、お墓に入れば一切が終わり…なら、俺は一人で生きていく、と突っ張っていてもいいかもしれない。
でも、ほんとうにそうでしょうか。大丈夫ですか。