皆さん、お元気にお過ごしですか。私は茨城県つくば市東、谷田部東中斜め向かい、筑波みことば教会牧師の、小堀昇です。朝のお忙しいひととき、少しお耳を傾けて頂けませんか。
運転中の皆さん、どうぞセイフティドライブでおでかけください。
さて聖書は次のように語ります。
「しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。」ローマ人への手紙、5章8節の御言葉です。
愛を語る人はたくさんいます。しかし、愛を見せる人、そんな人はそう多くはありません。
1880年(明治13年)、4月、新島襄(1843-90)が創立したあの同志社大学で、小さなことから学園紛争が起こりました。そして、多くの生徒がボイコットをしたのです。
その時に彼は、講壇の上で自分の不徳を生徒らに詫びて言いました。「どうして諸君らを罰することができようか。こんな事態を招いてしまった、私こそ罰せられるべきだ」。こう言って彼は、ステッキを振り上げて、自らの手を打ち叩きはじめ、遂にステッキは二つに折れてしまいました。
あっけにとられていた一同は、我に帰るや、数名の学生たちが壇上に駆けあがって言いました。「先生やめてください。私たちが、本当に悪かったのです」。このように言って、謝りました。
そして新島襄は言ったそうです。「諸君、これにてこの一件における処罰はすべて済んだ。」こう言い残すと、新島襄はひとり、礼拝堂から去って行ったと、言われているのです。
この時をもって、同志社のストライキはやみました。
愛を語る人はたくさんいます。でも、見せることの出来る人は、そんなに多くはありません。
イエス・キリストは、あなたの為に十字架で、愛を見せて下さいました。あなたの為に命を投げ出し、愛を見せてくださいました。死に打ち勝って、愛を見せて下さいました。
あなたもこのお方を、信じてください。