皆さんお元気にお過ごしですか。私は茨城県つくば市東、谷田部東中斜め向かい、筑波みことば教会、小堀昇です。よろしくお願いいたします。
朝のお忙しいひと時、少し耳を傾けて頂けませんか。運転中の皆さん、どうぞセイフティドライブでお出かけください。
さて、ある先輩の牧師に言われました。「場数を踏むしかないですね。結局は自分でやってみて、失敗して、学んで、そこからまた昇っていく。それしかないですね」。
だいぶ前に、説教について言われたことです。
これは、どの世界も同じではないでしょうか。スポーツでも仕事でも、何かの技術を取得するのも、結局は自分でやってみる。そして失敗する、そしてそこから何かを学んで立ち上がっていく。
この原則は、信仰生活においても、同じだと思います。苦しみや悲しみ、失敗、挫折、悩み、痛み。これらを体験することによって、更に神様に依り頼む信仰が深まっていく。ですから、苦しみは、信仰生活の糧、このように言うことができるでしょう。
聖書は次のように語ります。
「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました」(詩編119:71・新改訳)。
苦しみ悩みは、それ自体は大変つらいものですが、それを通らされることによってしか体験することができない、霊的な世界の広がりが、私たちには待っているのです。
苦しみのない人生というような、虫の良い人生を聖書は約束しておりません。それでも確かに言えることは、苦しみを通して、もう一回り上へと成長させられていく人生。苦しみの中で、神様が共にいて下さる人生。そのような人生を、神様は、私たちに約束してくださっています。
どうぞあなたも、神と共に歩んで下さい。