ご機嫌いかがですか。宇都宮教会代理牧師の豊川修司です。今日は人の心についての話しです。
神様は人間に正しいことと悪いことを判断できる心をお与えになりました。けれども人間は神様の約束を破り、罪を犯してしまいました。
罪の中身は、神様を信じないで、隣人に悪意を抱くことです。たとえ、自己中心的な生き方を反省して、人のために生きようと努力しても、やはり元に戻ってしまうのが人間です。それは、自分自身の腹を神として生きているからです。でも人間の考えは、目まぐるしく変わります。
聖書の言葉すなわち、神の御言葉は人間の心が季節の衣替えのようには変わりません。ですから、人間の言葉ではなく、神の御言葉に聞き従うように勧めています。
旧約聖書イザヤ書40章7節と8節に次の言葉があります。
「呼びかけよ、と声は言う。わたしは言う、何と呼びかけたらよいのか、と。肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの。草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。この民は草に等しい。草は枯れ、花はしぼむが/わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。」
神様は人間の心をよくご存知です。この御言葉は草のように枯れてしまう欲望と自己満足の人間の心を見事に表現しています。
自分の心を、変わることのなく朽ちることのない御言葉と置き換えてみませんか。