いかがお過ごしですか。ラジオ牧師の山下正雄です。
だれでも、自分が大事にされることは、とても心地よいことです。反対に自分が無視され、軽く扱われることには、不快な気持ちになります。これは、特別にプライドの高い人だからというわけではありません。誰もが持っている普通の感情です。
その自然な感情を逆手にとって、ほんとうは大切に思ってもいないのに、お世辞を言っておだててみたり、反対に、相手の自信を打ち砕くために、わざと無視したり、軽んじたりするのが人間の罪深さです。
相手の心を操ったり、もてあそぶためではなく、ほんとうに相手を大切に思うこと。思うばかりではなく大切に扱うことを、聖書は「愛」と呼んでいます。
その愛の源は、たどっていけば、神に行き当たります。何よりも配慮に満ちた神の天地創造の御業を、聖書は最初に記します。そして、あらゆる造られたものの冠としして、神は人をご自分のかたちに似せて、尊厳あるものとして造ってくださいました。神がどれほど人を大切に造られたかの証拠です。
さらに神は、神の御心に反して、神から離れていく人間に対してさえも、惜しみなく愛を注がれ、救いの手を差し伸べて下さいました。
今日の言葉…「わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。」 ヨハネの手紙一 4章16節