いかがお過ごしですか。船橋高根教会の牧師の小峯明です。
アブラハムは、神の友、とも呼ばれた人です。それはアブラハムの信仰の故でした。しかし、その信仰は一朝一夕ではありません。長い人生の旅路の中で、神の招きに従いつつ、少しづつ深められ、鍛えられていきました。その最後の厳しい試練が、愛する独り息子のイサクを犠牲としてささげよとの神様のご命令でした。
アブラハムは神とイサクとどちらを愛するかを問われたわけです。その信仰の試みの中でアブラハムは、神に従い、イサクをささげました。その時、神様はアブラハムの信仰の服従をご覧になって、アブラハムの信仰を祝福されました。
しかし、この信仰の試練は、ただアブラハムだけのことではありません。神様の祝福はアブラハムを通して、全世界の人々に及びます。そのために彼は特別な役割を担いました。アブラハムの子孫に主イエスがお生まれになります。
新約聖書の一番最初のマタイによる福音書1章1節に「アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図」とあるのはそのことを示しています。
そして、イサクの代わりに茂みで角をとられていた雄羊は、わたしたち人間の罪の犠牲として十字架におかかりになる主イエスを示していました。愛する独り子イサクの犠牲をアブラハムに要求された神は、ご自身の愛する御子、主イエスをお与えになったほどに、世を愛されました。「独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るため」です。
あなたを神と共に生きる命に招くために、神は旧約聖書の時代から準備をしてくださり、わたしたちに主イエスを与えてくださいました。驚くべき神の愛がここに示されています。