おはようございます。ひたちなか市足崎にあります、ひたちなか教会の小宮山裕一です。
私たちの人生には多くの不安があります。不安それ自体は避けることができませんし、不安に思うことは恥ずかしいことでもありません。しかし不安も大きすぎると押しつぶされてしまうこともあります。
今日は、そのような不安を考える上で、大きな問題である無意味について考えてみたいと思います。
無意味とは存在の価値を認めないことです。この感情が自らにむいてしまうと、自分は価値のない人間だということになってしまいます。その結果、自らを認める自己肯定の感情を持ちにくくなってしまいます。自分のことを認めるということができなくなってしまいますと、自信がなくなり、だんだんと暗い気持ちになってしまいます。
こうした感情から抜け出すためには、他人から認められることが大切です。認められている、必要とされているという思いは、その人にエネルギーを与えます。
人にもまして、神様は私たち一人一人を尊い存在だと思っているのです。
旧約聖書のイザヤ書という書物にこのような言葉があります。
「わたしの目にあなたは価高く、貴い」(43:4)
私の目にはあなたは価高い。それが、神様が私たちを見つめる時のまなざしです。そして、神様は今日もあなたのことを尊い存在だとみてくださっているのです。
この神様の目線を思い起こしてください。私たちは決して無意味な存在なのではなく、尊く輝きに満ちた存在なのです。