いかがお過ごしでいらっしゃいますか。江古田教会の浅野正紀です。今日も、主イエスの言葉に共に耳を傾けましょう。
ある安息日に、弟子たちは麦畑で麦の穂を積んでいました。安息日とは、週の7日目のことで、神さまが創造を完成され、仕事を休まれた日です。そのため、週の7日目は、人が一切の仕事から離れて休む日とされました。
ところが弟子たちは、この安息日に麦の穂を積んでいました。この行為を見ていたファリサイ派の人々は、主イエスにこう言いました。「御覧なさい。なぜ、彼らは安息日にしてはならないことをするのか」
ファリサイ派の人々は、安息日を守ることに誰よりも厳格です。弟子たちが安息日に麦の穂を積むという仕事をしていることがゆるせませんでした。
しかし、ファリサイ派の人々は、安息日を厳格に守ろうとするあまり、安息日の本当の意味を見失っていました。そもそも安息日とは、神さまが人のために定めたものです。安息日とは、仕事をしてはいけない日なのではなく、本来、仕事を休んで身体を回復させる日です。そして、まことの安息は、主イエスを通して与えられます。
主イエスは、ファリサイ派の人々にこう言いました。マルコによる福音書2章27節から28節です。
「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある」