おはようございます。ひたちなか市足崎にありますひたちなか教会の牧師、小宮山裕一です。
聖書にこのような言葉があります。とても有名な聖書の言葉ですから、耳にしたことがある方もおられるかもしれません。
いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。 (第一テサロニケ5:16-18)
この聖書箇所には「いつも」とか「絶えず」とか「どんなことにも」という言葉があります。
こうした言葉を聞く時に、そんなことは到底無理だ、祈りも感謝も、喜ぶこともいつもできるものではない。そのようにお感じになるのではないでしょうか。私もそう思います。私たちには限界があります。いつも喜ぶことも絶えず祈ることも感謝しつづけることもとても難しいのです。
それでは聖書は無理難題を要求しているのでしょうか。そうではありません。
ここで言われていることは、いつもずっと行う、連続して行うということではありません。時にはやすみながらでも、祈ること、感謝すること、喜ぶことを忘れない。そうした断続的な歩みです。大切なのはできないからといってすぐにあきらめない。休みながらも、少しずつ前に進む。そうした歩みです。
いつも喜べなくてもよいのです。大切なのは歩みをとめないことです。祈ることをあきらめないことです。感謝を心にとどめておくことです。